湘南モノレール西鎌倉駅より少し歩いた住宅街の中にあるのは竜口明神社である。祭神は玉依姫命たまよりひめのみこと。社名は普通「りゅうこうみょうじんじゃ」だが、別に「たつのくちみょうじん」とも呼ぶ。竜ノ口たつのくちは今の江ノ電の江ノ島駅近く、片瀬の竜口寺付近と考えられ、日蓮の法難で知られる刑場であった。竜ノ口の由来は現在の竜口寺背後の山なみが竜が南に口を開けている姿に見えるため、その口にあたるところを竜ノ口と呼んだことにあるらしい。また次のような伝説がある。


鳥居と境内

 昔、欽明きんめい天皇の13年(552)頃、深沢の沼に住んでいた5つの頭をもった竜(五頭竜ごずりゅう)がたびたび里を荒らし、ここに住んでいた長者の子どもを食べてしまうので長者たちは大変悲しんだ。しかし、ある時、天から石が降り、海底が盛り上がって島ができた(これが今の江ノ島になったという)。しばらくすると美しい天女(弁財天)がその島(江ノ島)に舞い降りてきた。あまりの美しさに竜は天女に結婚を申し込んだが、人を食う竜の申し出を天女は断った。そこで、竜は今後一切人を食べず、また人々の役に立つようなことをするという誓いをし、ようやく結婚を許してもらった。その後、竜は改心して人々を助けたという。その竜が死んだとき、その亡骸は口を南に向けて横たわって、後に山になった。それが今の竜口山(竜口寺の裏山)であるという。この話のもとは『渓嵐拾葉集けいらんしゅうようしゅう』という鎌倉末期から南北朝期にかけて採集された天台宗の百科全書にあるものである。また江島神社とこの竜口明神社は夫婦神めおとがみであるという説もできた。


社殿

 なお、もともとはこの竜口明神社は竜ノ口にあったが、そこが藤沢市片瀬にある鎌倉の飛び地であることから昭和53年(1978)に現在地に移された。現在、旧社が竜口寺の隣の鎌倉市の飛び地に残されている。

撮影日:2018年11月6日
鎌倉市腰越


位置

参考文献

『かまくら子ども風土記(中)(改訂十版)』、鎌倉市教育委員会、1991年
吉田茂穂『鎌倉の神社』、かまくら春秋社、2002年
黒田日出男『龍の棲む日本』、岩波新書、2003年
『鎌倉古社寺辞典』、吉川弘文館、2011年

2018/11/13 UP
2021/11/04 ルビ打ち
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