鶴岡八幡宮の西側、住宅地へと続く小道を登ると志一稲荷がある。『新編鎌倉志』には「志一上人石塔」、『鎌倉攬勝考』には「志一上人墓碑」という項目になっており、かつては石塔のようなものがあったらしい。現在、当地にそれらしきものは見えない。それらによると、筑紫の人である志一は訴訟のため鎌倉に来ていたが、訴訟のための文状を本国に忘れてきてしまった。志一が困っていると、日頃から志一に仕えている狐が一夜のうちに本国へ行き、その文状をくわてえ帰り、志一に捧げるとそのまま息絶えてしまった。志一は訴訟に勝つことができ、その狐を稲荷として祀り、祠を建て、これが志一稲荷だと言う。志一は『太平記』によると佐々木道誉のもとにいて、細川清氏に頼まれ、将軍を呪詛したとある(『太平記』)。付近の地名は鶯ヶ谷(うぐいすがやつ)である。
志一稲荷