源氏山へ向かう道の途中にあるのが銭洗弁天で親しまれている宇賀福神社である。正式には銭洗宇賀神社。次のような伝説がある。長い戦乱に苦しんでいた民を救うよう神に祈っていた頼朝の夢枕にある日、「西北の谷にきれいな泉が湧き出すところがある。その水を使い神仏を供養すれば、多くの民は信仰心を持ち、国は安らかになる」と言ったので、頼朝はさっそく社を建て、宇賀神を祭ったのが銭洗弁天の始まりだという。祭神は本宮は市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、奥宮は弁財天であるが、この弁財天の御神体は伊豆石でできた頭が人で体が蛇の像である。こういった例は円覚寺の大鐘弁財天にも見られる。純粋な仏教の神というより、神仏混交や民間信仰が入った結果と言えよう。
銭洗弁天
後に執権北条時頼がこれを信仰して、この水でお金を洗うと、何倍にも増えるという伝承が発生し、今日の賑わいに発展している。鎌倉名数では、五名水のうちの一つで銭洗水と呼ばれる。なお、銭洗弁天はもとは扇ガ谷寿福寺隣の八坂大神(八坂神社、相馬天王)の末社であったが、昭和45年(1970)に独立した。また、銭洗弁天の東側参道トンネル上付近にやぐら群が発見され、墨書銘のある大変貴重な五輪塔や形の整ったやぐらや石塔が見つかった。