腰越漁港の隣に小動岬(こゆるぎみさき)がある。その岬の中にあるのは小動神社(こゆるぎじんじゃ)である。腰越の鎮守(旧村社)。祭神は建速須佐之男(たけはやすさのおのみこと)、建御名方神(たけなみかたのかみ)、日本武尊(やまとたけるのみこと)。小動(こゆるぎ)の由来は、風もないのに揺れる松があったことに武将の佐々木盛綱が「小動の松」と名づけたことからという。小動神社は後にその盛綱が近江にある八王子宮を勧請したのに始まるとされる。その後、新田義貞が鎌倉に攻め入った際、手柄を立てたお礼として黄金の剣を奉納し、再興したと伝える。かつては八王子宮という名称で、明治初年の神仏分離で小動神社という名称になったが、内実は旧来通り目の前にある浄泉寺を別当寺として神仏習合の状態を大正時代まで維持していた。明治四十二年(1909)に、腰越の諏訪神社を合祀した。文化十四年(1817)建造の本殿は関東大震災で破損、拝殿は昭和初期の再建である。
小動神社
例祭は一月十六日で、他に夏の七月十四日に天王祭を行う。天王祭は江の島の八坂神社とともに行う盛大なもので神輿や山車が腰越の町を練り回る。かつては山車のため、江ノ電は腰越―江ノ島間の架線を取り外して運転を休止していたという。山車は中止になっている。昭和三十七年(1962)3月、火災のため、腰越各町の山車が焼失ないし、焼損して以降、山車は中止となり、江ノ電の運転休止もなくなった。その後、昭和後期から平成にかけて各町の山車は復興した。