実相寺の山門から海へ向って歩くと五所神社がある。材木座の鎮守で元村社。祭神は天照大神(あまてらすおおみかみ)、須佐之男命(スサノオノミコト)、崇徳天皇(すとくてんのう)、大山祇神(おおやまずみのかみ)、建御名方命(たけみなかたのみこと)。例祭は毎年七月七日から十四日まで。乱橋村と材木座村が合併して、乱橋材木座となった明治四十一年(1908)、乱橋村の鎮守三島神社に、材木座村の鎮守である諏訪神社と八雲神社、金毘羅宮、見目明神の四つを合わせ五所神社として祀ったことに始まる。もとの五社の詳しい由来は不明だが、このうち見目明神は「見目天王」として補陀落寺の鎮守であったと考えられている。諏訪神社も補陀落寺の管理であった(『新編相模国風土記稿』)。
社殿は大正十二年(1923)の関東大震災で倒壊。現在の社殿は昭和六年(1931)七月に新築された。境内には本殿、神輿庫の他、弘長二年(1262)の銘を持つ板碑、「疱瘡老婆さんの石」、旧諏訪社がある。
本殿
なお先にも触れた通り、現在の材木座は乱橋村と材木座村に分かれていた。江戸期には乱橋村は鶴岡八幡宮領、材木座村は光明寺領で両者は対立が多く、たびたび紛争を起こしていたため分立する結果となったのである。しかし『天保郷帳』には乱橋材木座村とあり一村として扱われているが、年貢は一括して割り当てられていたものを配分していた。明治期に至り乱橋材木座村は鎌倉郡東鎌倉村に編入され、大字乱橋材木座となり、これは昭和三十九年(1964)十月に住居表示の変更で材木座となるまで使われていた。いまだにこの五所神社の例祭を乱橋材木座にちなんで「乱材祭(みざいまつり)」ということにその名を残している。ちなみに乱橋村は小町小路の古川にかかる小さな橋、乱橋に由来している。