山崎の天神山にあるのは北野神社である。別名、山崎天神。江戸時代には洲崎社とも呼ばれていたようである。祭神は菅原道真。相殿(あいどの)に牛頭天王(現在は素戔嗚尊《スサノオノミコト》)を祀る。創建は暦応年間 (1338〜1342)で夢窓疎石の京都の北野神社からの勧請がはじまりと伝えるが、近くには愛甲氏の菩提寺の宝積寺があったことから、宝積寺の鎮守であったとする説もある。なお、山崎という地名は、この宝積寺があったため、京都にある宝積寺(宝寺)のあった山崎にちなんでつけられたとされている。宝積寺は明治の神仏分離令で廃寺になり、仏像は同じ山崎の昌清院に移された。貞治元年(1362)に円覚寺塔頭の黄梅院の院主によって修理されている。菅原道真没後1000年にあたる明治35年(1902)には祭典が行われた。
山崎天神
相殿の牛頭天王(現在の祭神は素戔嗚尊)には、次のような伝承がある。むかし、洪水によって岩瀬の五所稲荷神社の御輿が流れ、この地に流れ着いた。村の人々がこの御輿を北野神社の庭に持ってきて、どうしたらよいかと御輿に訪ねたら、「山崎の天神社にいたい」との神託があったので、北野神社に祀ることになったという。なお、見たところ境内には一つしか建物がないので相殿という独立した建物があるわけではないようだ。本殿を覗いてみると、この本殿の建物が覆殿のようになっているので、この中に相殿はあるのであろう。
拝殿横にある宝篋印塔は南北朝の騒乱の戦死者の追善供養と国家安泰を願い暦応元年(1338)より全国に設営された利生塔(りしょうとう)の一つである。応永12年(1405)の銘があり、安山岩製。塔には弥勒・薬師・釈迦・阿弥陀のレリーフが刻まれ、大変珍しく貴重なものである。市指定文化財。
なお、この北野神社のある天神山には、原始時代の住居の遺跡が複数ある。