鎌倉駅から鎌倉宮行きのバスに乗り、「天神前」のバス停で降りると荏柄天神がある。太宰府(福岡県太宰府市)、北野(京都府京都市)などと共に日本三大天神の一つと称される。祭神は菅原道真。相殿に八雲大神と熊野三柱を祀る。現在の社殿は関東大震災の際の鶴岡八幡宮の仮殿を移したものである。建立された時期などは不明。社伝には次のような話が伝わる。平安時代の長治元年(1104)、にわかに空が曇り、雷鳴と共に雨がすさまじい勢いで降ってきたという。そのとき、天神像を書いた巻物が空から降ってきた。当時、菅原道真が讒言によって太宰府で死ぬと、讒言をした藤原時平は横死し、京都には落雷が相次いだ。巻物が落ちてきた荏柄郷の人々はたたりを恐れて、その土地を踏まず、そこに社殿を建てて、巻物を収めた。これが荏柄天神の始まりだという。他に荏柄天神の旧蔵書として『荏柄天神縁起』(尊経閣文庫蔵)という絵巻物があるが、荏柄天神に関する記述はなく、内容は『北野天神縁起』の異本である。頼朝は荏柄天神を幕府の鬼門避けとして、篤く信仰した。鎌倉時代には、冤罪によって、死罪を言いつけられた渋川守兼というものは、くやしさのあまり、歌を奉納したところ、偶然、和歌の達人、将軍実朝がそれを見て感激し、その罪を許したという話がある。天文十七年(1548)、小田原城主の北条氏康は社殿造営のため金沢街道に関所を設けて、通行料を徴収し、それを造営費に充てさせた。現在も参道は金沢街道まで伸びており、鳥居の近くには関取場跡の碑が建つ。現在、境内には門、本殿、社務所の他、筆供養塚があり、一月二十五日に筆供養が行われる。
社殿