手広の交差点から県道三十二号線を川名方面へ向う途中、人家と人家の間にある小さな社は稲荷神社である。祭神は蒼稲魂命(いいくらだまのみこと)だが、実際には三十番神を祀る三十番神堂であり、堂には「三十番神宮」と書かれた額がかけられている。戦国時代、玉縄城の北条氏家の家臣であった島村氏の隠居所の守護神として祀られたという。三十番神は、国土を一ヶ月三十日間、交替で守護するという神々のことで、神仏習合の結果あらわれ、おもに日蓮宗で信仰された。神仏習合を禁じた明治の神仏分離令では、その対象になったが、傍らにあった稲荷神社の体裁にして破壊を免れた(『かまくら子ども風土記』)。そのため、現在にいたるまで稲荷神社となっている。土地では三十番神社、三十番神宮などと呼ばれている。境内には、島村氏の石塔が建っている。稲荷神社としての例祭が一月に、三十番神の供養が十月九日にそれぞれある。十月九日は、笛田仏行寺の住職が経をあげる。
手広の三十番神宮