由比ガ浜通りから鎌倉消防署長谷出張所横を入っていくとあるのは甘縄神明宮である。祭神は天照大神(あまてらすおおみかみ)・倉稲魂命(うがのみたま)・伊邪那美命(いさなみのみこと)・武甕槌神(たけみかずちのかみ)・菅原道真。長谷の鎮守で、もと村社。社伝によれば、その創建は和銅三年(710)、土地の豪族染谷太郎時忠が山上に甘縄神明宮、下に御輿山円徳寺という寺を建てたことに始まるという。明治初年の神仏分離令で寺は廃寺になった。本尊は地蔵であったらしい。源頼義がこの神明社に祈り、生まれたのが八幡太郎義家であったという。このことから康平六年(1063)に頼義は社を修理した。よって源氏とこの社の関係は深かった。頼朝や政子、実朝の参拝などの記事で『吾妻鏡』にたびたび社の名前が出てくる。甘縄は長谷の古名で、鎌倉御家人で北条氏の外戚であった安達氏の屋敷があった地である。時宗は建長三年(1251)五月十五日、時頼の母松下禅尼の邸宅があるこの甘縄の地で生まれた(時宗の母は北条重時の娘である)。現在、境内には「北条時宗公産湯の井」がある。明治二十年(1887)には、長谷寺鎮守の五社明神を合祀し、昭和七年(1932)に甘縄神明宮に改称した。それ以前は単に神明宮、神明社と称していた。
社殿