和賀江島から飯島岬の方へ歩いていくと、途中の住宅の傍に六角の井と呼ばれる古い井戸がある。六角の井という名称だが、実際には八角形であり、そのうち六角が鎌倉分、二角が小坪分であると言われている。この井戸はまたの名を「矢の根井戸」とも言い、次のような伝説が残されている。昔、源為朝(源為義の子、頼朝の叔父。鎮西八郎の通称)は、長身の大男で特に弓の名手として知られていた。彼は保元の乱(保元元年、1156)で父為義とともに上皇方に参じて、奮戦したが上皇方は破れてしまった。父は殺され、為朝も腕の筋を切られた上、伊豆大島に流された。
六角の井
為朝は自分の弓の腕が落ちてしまったのか確かめるために、ある日、天照山(光明寺の裏山)めがけて矢を放った。大島から放たれたその矢は、この井戸に落ちたという。井戸の底には筒のような矢の根(矢じり)が見え、それからこの井戸を「矢の根井戸」と呼ぶようになったという。かつては井戸替えの際に、矢じりを入れる竹筒を取り換えていたが、これを怠った年は悪い病が流行ったという。矢じりは今でも竹筒に入れ、井戸の中段に祀られているという。