若宮大路から清川病院の角を曲がり、十字路を北に向かうと、大仏次郎邸に近いところに青年会の碑がある。碑には「鎌倉の幕府(ここでの意味は幕府の御所という意味)は初めは大蔵(の地)にあったが、嘉禄元年(1225)に政子が亡くなるととともに宇津宮(宇都宮)辻に移した後の11年に嘉禎2年(1236)にさらにこの地に移し、以来98年間にわたって頼経以後の六代の将軍が相次いで政治をここで行った。元弘3年(1333)に新田義貞が鎌倉に乱入するに及んで廃絶した」といった意味の言葉が刻まれている。
若宮大路幕府の旧跡碑
このあたりは鎌倉時代中期以降、鎌倉幕府の将軍御所が置かれた場所で、場所から若宮大路御所と言われている。鎌倉幕府の御所は頼朝、頼家、実朝の時代は大蔵御所が使われ、北条政子が亡くなった後は宇都宮御所へと移った。若宮大路御所は嘉禎2年(1236)から使われた御所で、以後、幕府の滅亡まで将軍御所として使われた。なお、鎌倉幕府の将軍は宗尊親王以降、親王がなったため、この御所は俗に「親王屋敷」と呼ばれたという。ただ、一説には宇都宮御所と若宮大路御所は同じもので、御所の面する道によって宇都宮、若宮大路と呼び分けていたのではないかともされる(高柳光寿『鎌倉市史』)。