八幡宮の流鏑馬道から白旗神社の参道を行き、白旗神社の社殿を左に曲がって若宮行く途中、休憩所の近くに源平池を小さな池があり、橋が架かっている。かつてはうっそうとした木々に囲まれ、動かぬ池の水面が周りの古木をうつし出す静かな場所であった。近年、池周辺の木々は切り払われ、かつての薄暗い景色は失われてしまった。池から白旗神社の方向へ少し歩くと、「柳原」の碑がある。碑には「このあたりは昔、柳の名所であったので柳原と言う言い伝えがある。『年経たる 鶴岡辺の柳原 青みにけりな 春のしるしに』という古歌が伝えられている。その歌の作者は明らかではないが、一説には北条泰時の歌とも言われている。現存の柳は当時の名残であろう」といった意味の言葉が刻まれている。
柳原
柳原はもと八幡宮舞殿東方、薬師堂前までをさした地名で、昔、柳が多かったことからこの名がある(『新編鎌倉志』)。碑にある古歌は『歌枕名寄』(うたまくらなよせ)によると、これは北条泰時作とし、「やなぎ原」の部分を「松の葉」としている。また「鎌倉攬勝考」(かまくららんしょうこう)は、この池の水辺に片枯れした柳の老大木があり、わずかに枝葉を生やしていたのが地名の由来で、またこの柳に蛇が住んでいたが、八幡宮炎上の際に焼けたという伝説を伝えている。