比企ヶ谷の妙本寺の境内の奥には万葉集研究遺跡の古碑がたっている。碑には「この場所は比企ヶ谷の新釈迦堂、すなわち将軍源頼家の娘で将軍九条頼経の妻である竹御所夫人の廟があった場所である。この堂の供僧である権律師・仙覚が『万葉集』の研究の偉業を遂げたところは実にこの僧坊であった。今、(竹御所)夫人の墓標として大石がおいているのは、ちょうど堂の須弥壇の直下にあたり、堂はおそらく南に面していた。西方の崖の下にの窟は仙覚など代々の供僧の骨を埋めたところであろうか。詳しいことは『万葉集新考』の付録「万葉集雑攷」に書いてある」といった意味の言葉が刻まれている。
万葉集研究遺跡の碑
この地は鎌倉時代の僧、仙覚が『万葉集』の研究を行った場所と伝えられている。仙覚は常陸国の出身で、もとは天台僧であったとされるが詳細は不明。歌学に通じ、寛元4年(1246)に将軍九条頼経から『万葉集』の校合を命じられ、翌年それを終えたが、仙覚はその後も研究を続け、重要な業績を残した。その成果として著書に『万葉集註釈』『仙覚奏覧状』がある。