大町四つ角から海へ向かって大町大路を南へ向かうと、逆川に魚町橋という橋が架かっており、そのたもとに町屋趾の碑が立っている。碑には「このあたりは昔、鎌倉繁栄の当時の商売を行う地域であり、その中央の通りを大町大路と呼び、そのほか、米町・辻町・魚町(いおまち)・名越などの区分があった。その町屋のあった場所と思われ、しばしば『東鏡』に見える。このあたりの地名には今もその名前が残っている」といった意味の言葉が刻まれている。
町屋敷蹟の石碑
このあたりには鎌倉時代、町屋の一つがあったとされている。『吾妻鏡』の建長3年(1251)12月3日条に商業活動を行う場所として「大町・小町・米町・亀谷辻・和賀江・大倉辻・気和飛坂山上」の7か所を指定している。 町屋とは道に面して軒を接して並ぶ商人や職人たちの家とみられ、このあたりが鎌倉における商業地域の一つであったと見られる。米町遺跡と呼ばれている。平成9年(1997)から翌年にかけて大町二丁目付近で発掘調査が行われ、掘立柱建物跡や井戸の遺構が見つかっている。