葛原岡神社の手前には藤原仲能の墓の史跡碑が立っている。碑には「ここは「道智塚」あるいは「阿古耶尼の塚」と伝えられていたが、海蔵寺の寺伝によると藤原仲能の墓所と考えられる。仲能は従五位下、前能登守にして鎌倉幕府の評定衆であったが、後年海蔵寺の中興大檀越(だいだんおつ、大檀那のこと)となり、建長8年(1256、康元元年)12月9日に死去し、道智禅師と称せられたようで、その位牌が同寺に現存している」といった意味の言葉が刻まれている。
藤原仲能の墓
藤原仲能は『尊卑分脈』によると武蔵の藤原氏の流れをくみ、大友氏と同族である田村氏の二代目である。鎌倉幕府の評定衆であったらしい(『尊卑文脈』)が、『吾妻鏡』や『関東評定衆伝』等、他の史料にその名は見えないので詳細は不明である。海蔵寺の大檀那として中興開基となったと言われ、位牌が海蔵寺にあるという。『尊卑文脈』にも「亀谷」とあるので、信憑性があろう。