法華堂の跡から東へ小道を進み、清泉小学校の裏を通って二階堂の方へ抜けると東御門の石碑がたっている。碑には「幕府の大倉御所には4つの門があり、方位によって名づけている。その東にあるものを東御門と言ったが、転じて今は地名となっている。法華堂の東方一帯の地がこれである」といった意味の言葉が刻まれている。このあたりには、大倉御所の東の門、すなわち東御門があったとされている。
東御門
法華堂の跡から東へ小道を進み、清泉小学校の裏を通って二階堂の方へ抜けると東御門の石碑がたっている。碑には「幕府の大倉御所には4つの門があり、方位によって名づけている。その東にあるものを東御門と言ったが、転じて今は地名となっている。法華堂の東方一帯の地がこれである」といった意味の言葉が刻まれている。このあたりには、大倉御所の東の門、すなわち東御門があったとされている。