妙隆寺から南へ夷堂の方向へ行くとやがて左側に「日蓮上人辻説法跡」と刻まれた石碑などが立っている場所がある。傍らにある鎌倉町青年団の碑には「このあたりは昔、屋敷町と商家町との境をなす地点に位置し、幕府に近いこともあって隆盛を極めたところである。建長五年(1253)5月、日蓮聖人が安房から鎌倉に来て松葉ヶ谷に草庵を結び毎日このあたりの路傍に立って弘通(ぐつう:仏教の教えを広めること)のため民衆に対し、獅子吼(ししく:雄弁をふるうこと)を続けた跡であるので世に辻説法の旧跡と伝えられている」といった意味の言葉が刻まれている。
辻説法の跡
宝戒寺前から大町の四つ角に至る道は小町大路という名がある。鎌倉時代は小町大路が民衆のメインストリートであったようで大町・材木座に至るこの道には各所に日蓮の辻説法の旧跡と言われる場所がある。日蓮はこのような通りに立って熱烈に法華経を説いていたのだろう。今、この小町大路を土地の人が「辻説法通り」というのも、この辻説法の旧跡のためである。