岐れ道から金沢街道を金沢方面へ進んでいくと左側の小道に関取場跡の石碑がたっており、近くには庚申塔などがある。碑には「この所を土地では「セキバ」と呼んでいる。昔は関取場と言っていった(理由は、)天文17年(1548)に(小田原)北条氏が関所をここに設けて、関銭を取り、荏柄天神の造営料として充てたところからきており、その掟書の文書が今も荏柄天神社にある」といった意味の言葉が刻まれている。この小道を直進すると、荏柄天神の参道に出る。このあたりは荏柄天神の参道と金沢街道の接続するところで関所が置かれていたという。関所を置いたのは小田原城の北条氏康で荏柄天神を再興する費用を集めるためであった。天文17年(1548)12月27日付の関所定書案(「荏柄天神社造営関定書案」、『神奈川県史』資料編)が残されている。


関取場跡
撮影日:2011年2月10日
鎌倉市二階堂
(鎌倉郡二階堂村)


位置

参考文献

(ジャパンナレッジ版)『日本歴史地名大系』、平凡社

2011/04/06 UP(画像のみ、暫定)
2012/01/16 UP(正式)
2017/07/26 CSS改修
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