鎌倉駅を出て、若宮大路を南に進み、横須賀線のガードをくぐると「下馬四つ角」と呼ばれる交差点がある。傍らには石碑が立っており、「昔、鶴岡にお参りする武士は、このあたりで馬を下り、徒歩にて参詣したので、下馬の名がある。今の地名として残るこの地点は、鎌倉の重要な場所であったのでしばしば戦場となったことが古い書物に見える。なお、文永8年(1271)9月12日に日蓮上人が名越の小庵から竜の口の刑場に送られる途中、鶴岡八幡宮に向かって「八幡大菩薩は神として法門のため、霊験を顕したまえ」と大声をあげて祈ったのは下馬橋の付近と伝えられている」といった意味の言葉が刻まれている。


下馬

 『吾妻鏡』には「中の下馬橋」「下の下馬橋」といった名がみえる。『鏡』には見えないが、おそらく存在したと思われる「上の下馬橋」を加えて三つの下馬橋があったのであろう。下馬という地名は各地に存在する。下馬とは「馬を下りる」あるいは「馬を下りる場所」という意味であるが、これらは何らかに敬意を表する行為である。鎌倉の場合は、鶴岡に対するもので、若宮大路に三ケ所の下馬があったということであろうか。
 上の下馬橋は、おそらく鶴岡の源平池にかかる赤橋と推定される。中の下馬橋は享保十七年(1732)の鶴岡八幡宮境内図にあり、扇川にかかる橋で、現在二の鳥居がある付近である。現在「下馬」の碑が建つのは下の下馬橋である。このあたりのみが今、下馬の地名が残る唯一の場所である。鶴岡に近い上・中の下馬橋とは違い鎌倉時代には「好色の家」(芸妓屋のことであろうか)があるような賑やかな場所であったようである。現在、下の下馬に鎌倉青年団の碑がある。

撮影日:2010年11月19日
鎌倉市由比ガ浜2丁目
(鎌倉郡乱橋材木座村)


位置

参考文献

稲葉一彦『「鎌倉の碑」めぐり』、表現社、1982年
『かまくら子ども風土記(改訂十版)』、鎌倉市教育委員会、1991年
白井永二『鎌倉辞典』、東京堂出版、1992年
奥富敬之『鎌倉史跡事典コンパクト版』、新人物往来社、1999年

2011/01/04 UP
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