下馬四つ角から江ノ島電鉄の踏切を渡って由比ガ浜通りを行くと今小路との合流点に「六地蔵」という信号がある。片隅には六地蔵が並んでおり、鎌倉同人会の石碑が立っている。碑には「ここは昔は刑場であった。後に土地の人が六地蔵をまつって供養塔や芭蕉の句碑を建て、今石の柵をめぐらし整備した」といった意味の言葉が刻まれている。この場所は飢渇畠(けかちはたけ)と呼ばれている。問注所で死刑を言い渡された罪人は裁許橋を渡ってここに来たという。飢渇畠の名は『新編鎌倉志』によると罪人を殺戮し、晒す刑場であるので耕作をしなかったことによると伝える。六地蔵の傍には「夏草や つはものどもが 夢の跡」の芭蕉句があるが、これは飢渇畠とは直接のつながりはない。雪ノ下に住んでいた芭蕉の弟子松尾百遊が芭蕉の没後92年に建てたもので、このことからここを「芭蕉の辻」ともいった。六地蔵は関東大震災で大破してしまったようで、現在の地蔵はその後に新たに作り直されたものである。
飢渇畠