瑞泉寺の裏山、天園ハイキングコース途中の急斜面にある地蔵は貝吹地蔵と呼ばれている。元弘三年 (1333)に新田義貞の鎌倉攻めで北条高時が敗れた時、東勝寺合戦で自刃した高時の首を敵に渡すまいと家来たちが首を持って逃げ回った。その時、首をどこに埋めたらよいか思案していたところへ地蔵が法螺貝を吹きながら首を埋める場所を案内してくれたという伝承がある。首を埋めたのは偏界一覧亭旧蹟裏山付近から天園へ向かう道の途中の場所であったという。現在、その付近にある瑞泉寺裏山やぐら群の1穴は北条高時の首やぐらであるとされている。また、貝吹地蔵の伝承は他に敗残兵に逃げ道を教えたとか、新田勢が鎌倉へ攻めてくることを法螺貝を吹いて教えたなどがあるという。

撮影日:月日
鎌倉市
(鎌倉郡)


位置


参考文献

『かまくら子ども風土記(改訂十版)』、鎌倉市教育委員会、1991年

2011/10/24 UP(暫定、画像準備中)
2012/05/16 UP
2017/06/04 CSS改修(画像準備中)
▲非表示