鶴岡八幡宮の石段の左側には一木の大銀杏が立っていた。唱歌「鎌倉」に「上るや石の きざはしの 左に高き 大銀杏 問わばや遠き 世々の跡…」、鉄道唱歌に「八幡宮の石段に 立てる一木の大鴨脚樹(おおいちょう) 別当公暁(くぎょう)のかくれしと 歴史にあるは此陰よ」と歌われ、横浜国立大学教育人間科学部附属鎌倉小中学校の校歌にも登場する鶴岡のシンボルであった。しかし、平成22年(2010)3月10日未明に強風により倒れてしまった。
この大銀杏には、鎌倉幕府三代将軍の源実朝が建保7年(1219)に八幡宮の石段で暗殺された際に実朝を暗殺した別当公暁が隠れ潜んだという伝説があり、別名「公暁のかくれ銀杏」とも言われた。実際、中世の史料に公暁が銀杏に隠れたという話は出てこないので、後世の創作であろう。そもそも実朝の暗殺場所は中世の史料でもまちまちである。
ありし日の大銀杏(左)と現在の大銀杏