鎌倉駅から若宮大路に出て、カトリック雪ノ下教会横の小道を直進すると宇都宮稲荷という小さな社がある。このあたりは宇都宮辻子(ずし)御所の中心地と考えられており、鎌倉青年団の史跡碑が立っている。碑には「鎌倉幕府(ここで言う幕府とは御所の意味)は初めは大蔵(の地)にあったが、嘉禄元年(1225)に政子が亡くなったことのより、これを移すことの議論が起こり、(北条)時房・(北条)泰時らが巡検・評議の末、同年十一月にこの地に造営し、十二月に将軍藤原頼経はこの地に移り住んだ。以後、嘉禎二年(1236)に再度、これを若宮大路に移すまで天下の政治はここで行われおよそ(それは)十二年間続いた」といった意味の言葉が刻まれている。
宇都宮稲荷と石碑
宇都宮辻子御所は、大蔵にあった幕府の役所を嘉禎2年(1226)にこの辺りに移したもので、嘉禎二年(1236)に若宮大路御所に移転するまで十年間に渡って使われた。宇都宮辻子にある幕府の御所という意味で、通称は宇都宮辻子幕府とも言う。ただ、宇都宮御所と若宮大路御所のそれぞれの想定区域は隣り合っているので、若宮大路御所は宇都宮辻子御所の規模拡張であり、実際には両者同じものであると見る考えもある。