星月夜井から極楽寺坂を登り、その出口付近の南側斜面に上杉憲方の墓と伝える石塔群がある。上杉憲方は山内上杉家の祖であり、鎌倉公方の補佐役である執事となった人物である。康暦元年(1379)の土岐一族の反乱、や翌康暦二年(1380)の小山義政の乱の鎮圧などに功があり、その後足利氏満に仕え、応永元年(1394)に死去した。


上杉憲方の墓

 北鎌倉の明月院に「明月院やぐら」と称する岩窟に上杉憲方の塔とされるものがある。また、この上杉憲方の墓の反対側にあたる北側の山の斜面は西方寺の跡であり、そこには上杉憲方の逆修塔と称する宝篋印塔などの石塔群が存在する。


撮影日:2011年2月22日
鎌倉市極楽寺2丁目
(鎌倉郡極楽寺村)

入口。写真中央の小道、アパートの前を通る。

目印はこの石標である。

極楽寺坂の極楽寺側にある。上杉憲方の墓から坂ノ下方面を見る。

上杉憲方の墓 上杉憲方の墓
説明板 上杉憲方の墓

摩耗したり一部破損した五輪塔四基と層塔一基である。


位置

参考文献

『かまくら子ども風土記(改訂十版)』、鎌倉市教育委員会、1991年
白井永二『鎌倉辞典』、東京堂出版、1992年
奥富敬之『鎌倉史跡事典コンパクト版』、新人物往来社、1999年
奥富敬之『鎌倉歴史散歩』、新人物往来社、2001年

2011/04/05 UP
2017/05/21 CSS改修
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