星月夜井から極楽寺坂を登り、その出口付近の南側斜面に上杉憲方の墓と伝える石塔群がある。上杉憲方は山内上杉家の祖であり、鎌倉公方の補佐役である執事となった人物である。康暦元年(1379)の土岐一族の反乱、や翌康暦二年(1380)の小山義政の乱の鎮圧などに功があり、その後足利氏満に仕え、応永元年(1394)に死去した。
上杉憲方の墓
北鎌倉の明月院に「明月院やぐら」と称する岩窟に上杉憲方の塔とされるものがある。また、この上杉憲方の墓の反対側にあたる北側の山の斜面は西方寺の跡であり、そこには上杉憲方の逆修塔と称する宝篋印塔などの石塔群が存在する。