十二所神社から金沢街道を渡って道を進むとやがて金沢区方面へ抜ける山道にあたる。この道の途中にあるのは朝比奈切通である。朝比奈切通は鎌倉と鎌倉の外港がある金沢の六浦に至る金沢街道(六浦道)の一部で北条泰時が執権期の仁治元年(1240)に鎌倉と六浦を結ぶ道路の計画が持ち上がったという。翌年4月には工事が始まり、泰時自身も工事に臨んだという。結局いつできたかはよくわからないが、かなり早くできたらしい。そこから和田の乱で父をよく助け、多くの北条勢を殺した朝比奈三郎義秀という豪傑が一夜でこの山を切り開いたという伝説ができ、この切通しの名前の由来とされている。ただし、この切通しの工事が始まったのは朝比奈義秀が和田の乱で行方不明になった30年も後のことである。建長2年(1252)には土砂崩れのため再度修理された。
朝比奈切通し 金沢側からの入口
切通しは六浦の港で陸揚げされたものを鎌倉へ運ぶ重要な道の一部であった。また六浦から鎌倉へ運ばれる塩もこの切通しを通ったので金沢街道は「塩の道」とも呼ばれている。(光触寺の塩嘗地蔵)
山道の途中には幕府創設に大きな役割を果たした上総介広常を頼朝の命により梶原景時が暗殺した後、刀の血を洗ったという伝説がある梶原太刀洗の水がある。このほど近くには鎌倉青年会の石碑も立つ。また金沢よりの山道には鎮守の熊野神社がある。
熊野神社と史跡碑(右)
江戸期もこの道は使われており、道普請の供養塔が山道の途中に立っている。昭和30年(1955)より現在の県道204号を作る工事が始まった。朝比奈峠の開削は難工事であったが、自衛隊の協力などもあって現在の県道が開通し、鎌倉市と横浜市金沢区を結ぶ重要な道として機能している。旧道はハイキングコースになっている。切通しは国の史跡に指定されている。