報国寺の前からさらに金沢街道を行くと青砥橋という滑川に架かる橋がある。橋を渡って少し入ると住宅街の中に青砥藤綱邸旧蹟の石碑が建っている。碑には「鎌倉執権の美績(びせき、立派な功績)を語る者はだいたいがまず時頼、時宗を称賛する。しかし、その間に両代に仕えた青砥左衛門尉藤綱の功績によるものもまた少なくはなかった。藤綱は逸話に富む人で、ある時、夜道を行き滑川を過ぎたとき、誤って銭十文を水に落としてしまい、五十文をもって炬(きょ、松明のこと)を買い、水を照らしてこれを探した一件は、もっとも多くの人に知られている。この地はその藤綱が居住した旧跡であると言う」といった意味の文が刻まれている。
青砥藤綱邸旧蹟
青砥藤綱は北条時頼に仕えた武士と伝えられ、非常に質素で、正義感の強い武士であったと伝いう。碑文にある「太平記」に出てくる話は有名であり、いま東勝寺橋のたもとにやはり青砥藤綱の旧跡碑が建っている。(青砥藤綱旧蹟)。その藤綱の邸宅はこの付近にあったとされている。