「日蓮上人祈雨旧蹟」の石碑から小道を奥に進むと、日蓮宗の霊光寺がある。山号は龍王山(りゅうおうざん)、本尊は日蓮上人像。このあたりは日蓮が文永8年(1271)6月に忍性と雨乞い対決をし、その祈願をした旧跡とされている。この年は旱魃がひどく、人々は大いに苦しんだ。このため、鎌倉幕府の時の執権・北条時宗は律宗僧の良観房忍性に雨乞い祈祷を命じたが、雨は降らなかった。そのため、日蓮がこの地にある池の畔で法華経を唱え、雨乞いをするとたちまち雨が降り、大地を潤したという。この雨乞い伝説が史実であるかどうかはわからないが、鎌倉幕府は元仁元年(1224)6月6日に祈雨祈祷のための七瀬の祓いを鎌倉の周縁部7ヶ所で行っており、その中に「金洗沢池」というものが見える。この「金洗沢池」とは現在の田辺が池であるとされ、往古よりこの地が雨乞いなどの儀式をする聖地であったことが予想される。なお、日本海軍の関係者に日蓮宗の信者が多い。この霊光寺の本堂にかかる「祈雨霊蹟」の額も日露戦争の日本海海戦で活躍し、この寺の建立にも関わった上村彦之丞の手によるものである。

 
日蓮像と現在の田辺が池

 田辺が池はその後なくなってしまったが、明治の末年に江戸の講中が建てた「日蓮大菩薩祈雨之旧蹟地」の石塔が出土したため、日蓮ゆかりの旧跡を守る堂が建てられたことが寺の起源である。その後、昭和32年(1957)に「霊光殿」と称していた堂に寺格が与えられ、正式に寺として発足した。田辺が池は長らくただの沼地となっていたが、その後、整備が行われた。現在、池の畔には八大龍王が祀られている。

撮影日:2017年5月3日
鎌倉市七里ヶ浜

田辺が池 田辺が池 田辺が池 田辺が池 霊光寺の山門
山門 山門 境内墓地 本堂へ上がる石段 石塔類
石柱 日蓮像 日蓮像 本堂 本堂

位置

参考文献

『かまくら子ども風土記(中)(改訂十版)』(鎌倉市教育委員会、1991年)
白井永二『鎌倉辞典』(東京堂出版、1992年)
奥富敬之『鎌倉史跡事典コンパクト版』、新人物往来社、1999年
『鎌倉の寺』、かまくら春秋社、2001年

2017/05/04 UP
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