本覚寺は正式には、日蓮宗妙厳山東身延本覚寺といい、本尊は釈迦三尊。「東身延」「日朝さま」とも呼ばれる。創建は応永28年(1421)あるいは別の史料によると永享8年(1436)、開山は一乗院日出上人である。寺伝によるとこの地にあった天台宗の夷堂(えびすどう)を日出が改めたのがおこりとする。
本覚寺の第二世は日朝である。日朝は室町時代の日蓮宗の僧で、日出に師事した後、京都などで学んだ後、本覚寺に入った。その後、日朝は身延山久遠寺の貫首に就任した。日朝は身延山の発展に尽力し、またこの時、日蓮の骨を本覚寺に分骨した。これにより本覚寺は東身延と呼ばれるようになった。日朝は他に目の神様としても知られる。これが「日朝さま」の由来である。
本堂
なお、もとこの地にあったという夷堂は、幕府の守り神として頼朝が創建したと伝えられる。日蓮が文永11年(1274)に佐渡配流から帰った時、一時住居にしたという。夷堂は『新編相模国風土記稿』には「夷三郎社」と記されている。明治の神仏分離によって蛭子神社に移されたが、昭和56年(1981)に本覚寺境内に再建された。なお、本覚寺付近を流れる滑川(なめりがわ)は夷堂川という。また、本覚寺の山門前にかかる橋を夷堂橋という。
境内は本堂、鐘楼、分骨堂、夷堂、庫裏、客殿などがある。また墓地には刀工、正宗の墓がある。本尊の釈迦三尊(中尊:木造釈迦如来坐像、脇侍:文殊・普賢両菩薩坐像)は南北朝期の作品。他に木造二天立像などがある。