名越の十字路から左の小道へ曲がり、進むと日蓮宗多福山大宝寺がある。このあたりは鎌倉時代に常陸で勢力のあった佐竹氏代々の居住地で、佐竹屋敷と呼ばれている。この寺はもと妙本寺の末寺。源頼朝が挙兵した時、常陸で勢力のあった佐竹氏は頼朝を脅かす勢力となった。頼朝は富士川で平家を撃退すると、すぐに佐竹氏討伐の兵を挙げ、頑固に抵抗する佐竹義政を倒した。その子秀義は奥州に逃げるが、後に頼朝に降伏し、祖先の源義光(新羅三郎)の屋敷があったここに屋敷をかまえた。その後、佐竹義盛が出家し、屋敷のそばに多福寺を立てたが、まもなく廃寺になった。文安元年(1444)に本覚寺の開山日出上人が再興し、山号を多福山、寺号を大宝寺とした。境内には佐竹氏の祖先の新羅三郎義光が後三年の役の功をたたえて信仰した多福明神がある(祠は現在ない)。この神社は一時、大町の八雲神社の合祀されたが、明応8年(1499)に大町妙法寺の日章上人によって境内に戻された。本尊は三宝諸尊で、本堂には他には日蓮上人坐像、日出上人、源義光の像、出世大黒天と子育て鬼子母神の像がある。 なお、この寺の裏山は佐竹山と呼ばれている。この山の形が扇の地紙に似ているとされ、佐竹氏の紋はこれをかたどっている。
大宝寺の本堂