長谷観音の参道の入り口から高徳院の方向へ歩いていくと、途中に光則寺がある。日蓮宗で、山号は行時山(ぎょうじさん)。もと妙本寺の末寺。本尊は日蓮像、他に日朗像などがある。この地は北条氏の家臣である宿谷光則(やどやみつのり)の屋敷跡と伝えられる。
本堂と土牢(右)
光則は得宗被官のような人で北条時頼に仕えていたらしい。日蓮が佐渡に流された折り、その弟子の日朗は由比ガ浜で役人に捕えられ、ここの土牢に押し込められた。しかし、やがて光則は日蓮に帰依し、屋敷を寺にした。これが光則寺だという。山号は光則の父の名前だという。山門、本堂、庫裏などがある境内は多くの花や樹木に囲まれ、参拝する人々の目を楽しませる。山門前には鎌倉青年団の史跡碑が立ち、境内の奥には日朗を閉じ込めた土牢と伝えられるものがある。