神奈川県立フラワーセンター大船植物園から県道402号を関谷方面へ進むと龍宝寺がある。ここからさらに進むと植木の諏訪神社があり、この北西が玉縄城址となる。龍宝寺は曹洞宗で山号は陽谷山。正式には瑞光院龍宝寺である。本尊は釈迦如来。開山は泰絮宗栄、開基は2代目の玉縄城主、北条綱成である。玉縄北条氏ゆかりの寺で寺には綱成、氏繁、氏勝の三代の位牌が残る。寺号は初め香花院(こうげいん)、また一時大応寺となった時期もあった。当初は植木村の山居(さんきょ)という場所にあったが、天正3年(1575)に4代目の玉縄城主である北条氏勝によって現在地へ移された。小田原攻めの時、玉縄城でも篭城戦となったが、龍宝寺の住持良達らが仲介し、開城に至ったとされている。明治10年(1882)から昭和12年(1937)まで境内には貞宗寺境内から移った玉縄学校(現在の鎌倉市立玉縄小学校)が置かれていた。
現在の寺観は山門、鐘楼、本堂などがある。本堂は昭和26年(1951)に火災により消失し、現在の本堂は昭和34年(1959)に再建されたものである。境内には「新井白石の碑」や関谷村から移築された旧石井家住宅、玉縄民俗資料館(現在は「玉縄ふるさと館」)がある。
龍宝寺