西御門の碑からさらに奥へ住宅地を進むと右側に時宗の来迎寺の入口がある。山号は満光山で本尊は阿弥陀三尊。他に如意輪観音像、地蔵菩薩坐像、抜陀婆羅尊者(ばったばらそんじゃ)像がある。開山は一遍上人と伝えられる。如意輪観音は頼朝の法華堂にあったもので、明治の神仏分離令の際に八幡宮管理の法華堂から来迎寺に移されたものである。この像は北条政子の持仏といわれ、今も安産や女性の守護神として信仰を集めている。また、別の伝説もある。昔、染屋太郎太夫時忠の3歳になる愛娘が由比ガ浜辺で遊んでいたとき、1羽の大鷲が空から舞い降りてきて、娘をさらってしまった。周囲のお供の大人たちが駆けつけた頃には、大空に舞い上がってしまった。時忠はたいそうに悲しみ、あちこちを探させたが、後に娘の遺体が見つかると時忠はこの如意輪観音の胎内に遺骨を納め、供養したという(『かまくら子ども風土記』)。
本堂
地蔵菩薩像は現在は廃寺となった報恩寺の本尊で南北朝時代の仏師、宅間浄宏(たくまじょうこう)の作と伝える。抜陀婆羅尊者も報恩寺のものとされ、自休和尚像とも伝えられる。境内には本堂、庫裏、墓地などがある。入口右側には西御門の鎮守、八雲神社と太平寺跡の碑がある。太平寺は鎌倉尼五山第一位で、足利氏関係の女性が多く入った寺院であった。