十二所神社の前から金沢街道を鎌倉市街地方面へ向かっていくと十二所(じゅうにそう)のバス停がある。ここから住宅地の中を歩き光触寺橋を渡ると光触寺がある。時宗で山号は岩蔵山(がんぞうさん)。開山は作阿(さくあ)。本尊は「頬焼阿弥陀(ほおやきあみだ)」の通称で知られる阿弥陀三尊像。もともとは比企ヶ谷にあった真言宗の岩蔵寺という寺が前身と伝える。かつては多くの塔頭を持っていたようであるが、江戸時代には廃絶している。
本堂
「頬焼阿弥陀」の話は次の通りである。昔、町の局という女の人が仏師の運慶に阿弥陀如来像を作るように頼んだ。完成した阿弥陀如来を局は深く崇敬していた。また局に仕えていた万才法師(まんざいほうし)も阿弥陀如来を崇敬していた。ある時、家から物が紛失し、万才法師が怪しいということとなった。万才法師は罰として左の頬に焼印を押されたが、何度やっても頬に焼き跡がつかなかった。不思議に思っているとある晩、局の夢枕に阿弥陀如来が立った。阿弥陀如来は「なぜ、私の頬に焼印を押すのか」と言った。局は翌朝驚いて阿弥陀如来像を見ると頬に焼印がついている。阿弥陀如来が罪もない万才法師の身代わりになったと知った局は、それを悔い、万才法師を許し、阿弥陀如来像を修理したが、像の頬の焼印は消えることはなかった。局はそこで岩蔵寺を建立し、この像を本尊にし、いっそう阿弥陀如来を深く信仰し、やがて念仏往生を遂げることができた。この話は重要文化財になっている「頬焼阿弥陀縁起」にあるもので十三世紀末から十四世紀初頭の成立と考えられている。境内には山門、本堂および庫裏と境内墓地がある。また、境内には塩嘗地蔵と呼ばれる石地蔵がある。