建長寺前から鎌倉街道にかかる横須賀線踏切の手前右奥にあるのは明月院である。臨済宗建長寺派。山号は福源山。本尊は如意輪観音。明月谷と呼ばれる谷にあり、あじさい寺で知られる。明月院はもともと五代執権、北条時頼の建てた最明寺の跡地に、北条時宗が建てた禅興寺の塔頭であった。禅興寺は開山を蘭渓道隆とし、文永5年(1268)に創建された。元亨元年(1321)の北条貞時13年忌供養に92名の僧侶を出すなど、かなりの寺勢を誇ったようである。また北条氏の滅亡後も康暦元年(1379)には鎌倉公方の足利氏満が修理するなど、鎌倉公方の崇敬も受け、繁栄した。この禅興寺の塔頭である明月院の創建は、康暦2年(1380)で、上杉憲方を開基とし、密室守厳(みっしつしゅごん)を開山とした(『新編鎌倉志』)。ただ、寺伝では開基を山内首藤経俊とする。禅興寺はその後、いつの頃か明月院との関係が逆転し、江戸期には禅興寺が明月院に付属する形となっていた。明治の神仏分離令で禅興寺は廃寺となり、明月院だけが残った。
明月院の開山堂
一方、最明寺は建長6年(1254)に北条時頼が山ノ内に建てた別邸の傍らに建てた仏堂であった。康元元年(1256)7月17日には将軍の宗尊親王がここを訪問している。現在、明月院の入り口から見て北東方向の住宅地が最明寺であったとされる。この最明寺が北条時宗によって拡大され、禅興寺となったのである。北条時頼の墓は、現在明月院境内にある。関東管領上杉憲方とのつながりも深く、山内上杉家の屋敷がこのあたりにあったため、付近の地名は管領屋敷と呼ばれている。また、開山堂左側の山際にある鎌倉最大級のやぐらは、上杉憲方の墓と伝えられている。
北条時頼の廟堂