八幡宮前から窟小路(いわやこうじ)を直進し、横須賀線踏切(扇ガ谷踏切)を越えると寿福寺がある。臨済宗で、山号は亀谷山(きこくさん)。正式には寿福金剛禅寺。鎌倉五山の第三位。本尊は籠釈迦といわれる大きな釈迦如来。その両脇にある仁王像は、もと鶴岡(鶴岡八幡宮寺)にあったもので、明治の神仏分離令のおり、ここに移された。寺域はもともと源義朝の邸宅の跡と伝えられる。
山門
治承4年(1180年)十月に鎌倉に入った頼朝は父義朝の住んでいたこの地に幕府の中心を置こうとしたが、この土地は狭く、またすでに義朝の家臣であった岡崎義実が義朝を弔う御堂を建てていたため、断念した(『吾妻鏡』治承四年十月七日条)。この土地は岡崎義実の後は、その子である土屋義清が所有したが、頼朝没後の正治二年(1200)閏二月十二日に政子の発願により、伽藍建立にいたった。開山は栄西禅師。宝治元年(1247)十一月、正嘉二年(1258)一月に火災に遭ったが、その後復興した。元亨三年(1323)の北条貞時十三年忌供養に寿福寺からは建長寺・円覚寺に次ぐ人数の僧侶が参加していることから、鎌倉時代後期にかけてかなりの規模を誇ったものと思われる。しかし、その後、南北朝・室町期には頻繁に火災や地震などの災害に遭っている。江戸時代末期には塔頭が四つほどあったが、現在は廃絶。境内は国史跡。現在、裏の墓地には三代将軍実朝の墓と伝えるやぐら(通称「えかきやぐら」)と、政子の供養塔と伝えるやぐらがある。また、その他、この墓地には、明治の外相の陸奥宗光、俳人高浜虚子、作家大仏次郎など著名人の墓が数多くある。裏山は源氏山や銭洗弁天方面へのハイキングコースが通じている。