英勝寺から横須賀線に沿って北側に進み、住宅地のなかの小道を進むと海蔵寺がある。このあたりの谷戸は会下谷(えげがやつ)である。臨済宗建長寺派で、本尊は薬師如来。開山は空外、開基は上杉氏定。応永元年(1394)創建と伝える。創建初期の歴史は不詳。ただ扇谷上杉氏との関係が深かったことはわかっている。中世後期にかけては衰退したが、江戸時代には中興し、伽藍の整備は仏像の造立などが行われた。往時には十数の塔頭を数え、後にすべて廃絶した。現在の寺観は山門、仏殿、方丈、庫裏などである。
本堂(左)と仏殿
仏殿の薬師如来像は「啼薬師(なきやくし)」「児護薬師(こもりやくし)」と呼ばれ次のような話がある。昔、この寺ができた頃、近くの山から毎夜子どもの泣き声がした。住職が不思議に思ってある日、泣き声のするところに行き、地面を掘ってみると薬師如来像の頭部が掘り出された。そこで新たに薬師如来像を作り、この頭部を腹部に納めたという。現在、仏殿の薬師如来の腹部は扉のようになっていて、ここを開けると件の頭部が現れるようになっている。普段は扉は閉まっていて、頭部は見ることはできない。境内の西方のやぐら状の岩窟内に十六の井と呼ばれる井戸がある。十六の丸穴に水が溜まっているが、もともとは納骨穴であったとされている。かつては内部奥壁に板碑があったらしい。また門前には鎌倉十井の一つの底脱ノ井(そこぬけのい)がある。
底抜けの井(左)と十六の井